今日は初七日です。
もう1週間経つんだ。
はやいね。
モアちゃんの亡くなる少し前のことから。
呼吸が苦しそうだった14日(火)の夜。
15日(水)、16日(木)も、楽ではなさそうな様子が多くなって来ていましたが、
それなりにご飯も食べてお水も飲んで、モアちゃん頑張っていました。
お散歩って言えるほどではないけれど、
排泄のために外に出れば自分の力で歩いていました。
(↑17日夜撮影)
16日の夜は、ご飯もしっかり食べてくれて、
病院の先生には厳しい現実を言われてしまったけれど、
これならば、まだしばらくは大丈夫なのだろうと思っていました。
この日の夜は殆ど寝ていなかったのではないかと思います。
頻繁に寝苦しそうに姿勢を変えて、時にはワンワン言うので抱っこしてあげたりの繰り返し。
モアちゃんをベッドに戻すと、しばらくは横になって寝ているように見えましたが、
また苦しそうに姿勢を変えてを、何度も何度も繰り返していました。
(↑17日夜撮影)
17日(金)の朝、ご飯は一口も口をつけず、
お薬を仕込んだチーズと、ヤギミルクを少しで朝ご飯終了。
前日からウンチが殆ど出ず、ポーズをするものの出てこなくて、
お腹も張ってきて辛かろうと、浣腸薬を使いました。
しばらくして沢山出して、大分スッキリしたのかもしれません。
この日、私は会社へ。
出勤前に見たモアちゃんは、やっと眠れたみたいで寝ていて、
安心して家を出たのでした。
結局はすぐに起きてしまいワンワン言ってたそうですが…
(見ていてくれた母より)
17日(金)の夜ご飯、大好きだったつくねとおからのハンバーグに、
須崎先生の栄養スープをかけたものを完食。
もっと食べそうだと、追加で持っていったら食べませんでした。
ハンバーグは冷凍したのも終わっちゃったので、他のだったからかも。
いつあげても食べが良いのでまた作ってあげようと思っていました。
(↑レオンと並んでいるのですが、モアちゃんは苦しそうに頭を上に上げていました。)
18日(土)の11時頃、レンタルした酸素室の準備が出来ました。
通常は20%くらいの濃度が酸素室の中は30%ちょっとです。

(↑酸素をつくる機械。管が酸素室に繋がっています。モアちゃんの救世主だと思った。)
入れてみたところ、最初はちょっと不服そうでしたが、
珍しく舌が引っ込んでいて、きっと呼吸は楽になったのだと思います。
この日の朝ご飯はあまり食べてくれず、
プライムケイズの鶏ササミチーズを半分くらい。
他の、レバーソーセージなどは食べてくれず、
ササミチーズの他は、手作りご飯のスープ部分を少しなめてお終い。
酸素室で楽そうな様子のモアちゃんに、キートス君ママさんが茹でた馬肉を下さいました。
(たぶんキートス君のオヤツだったのかしら。)
馬肉をモアちゃん食べたので、もしかしたら今なら何か食べるかもと、
朝ご飯だったワンコカレーを持ってくると食べてくれたのです。
この時に、ママさんに「何かあげてみたら」と言って頂いて良かった。
最後まで、モアちゃんが好きなものを食べさせてあげることが出来ました。
そのまましばらく酸素室に入っていて、私もお部屋に一緒にいました。
12時過ぎに、「出せ〜」と大騒ぎしていたので、
私も昼食をとろうと1Fへ。
モアちゃんも、急に酸素室の中に入りっぱなしでは嫌なのだろうと一緒に。
そのまま2時くらいまで1Fで過ごしました。
お水もお皿を持っていくと自力で飲んでいました。
2時頃ベベとワンワン言い合って。
そろそろおトイレもしたいだろうと抱っこしたモアちゃん、
こんなこと初めてだったのですが、頭がダラ〜ンとしてしまいます。
外を歩かせる状態ではないだろうと、再び2Fの酸素室へ。
その時の写真が生前最後のものとなりました。
同じ部屋で私もウトウト横になっていました。
3時半か4時頃、モアちゃんがワンワン言ってるのが聞こえました。
酸素室の中の方が楽だから、もうちょっと入っててねと、
そのまま私がウトウトしているうちに、モアちゃんも寝てくれました。
いいえ、寝たように見えただけだったのかも。
生きているモアちゃんを感じたのは、これが最後でした。
酸素室の中は楽に過ごせるだろうと思い安心してしまったの。
連日寝不足だったため、睡魔に勝てなかった私。
6時頃、病院に薬を取りに行かなくちゃ!!
と飛び起きて(木曜日に診てもらって、薬はあとで取りに行くことになっていた)
酸素室の中のモアちゃんは寝ているように見えたので安心し、
ついでだったので酸素室の中に入れておける温度計を買って家に帰ったのが7時頃。
モアちゃんの様子を見に行った時には、
まだ温かいモコモコの身体が、もう硬くなり始めていました。
酸素室内のモアちゃんを見た瞬間の嫌な予感。
出掛ける時と同じ姿勢のまま横になっていたのです。
最後の最後での後悔。
4時頃にワンワン言ってた時に、なんで抱っこしてあげなかったのだろうかと。
悔やんでも悔やみきれません。
モアちゃんが呼んでいたのに・・・
だから、何時頃亡くなったのかが判らないのです。
6時頃、いや、4時半頃にはもう息をしていなかったのかもしれません。
ただ、とっても都合の良い解釈かもしれないけれど、
お顔はとっても穏やかで、苦しかったような様子は見られませんでした。
その前の何日かは、昼も夜も、呼吸が苦しくて、
モアちゃん全然眠れなかったのでしょうね。
8月に入ってからは、痙攣発作も夜中に何回かおこしていました。
それが、酸素室の中で楽に呼吸が出来て、
やっと眠れたのに安心して、そのまま眠り続けてしまったのだと思います。
もうどうにもならないだろうと思いつつ、
お世話になっていた病院へモアちゃんを連れて行きました。
先生方が、ちょっと開いていたモアちゃんのお目々を閉じてくださいました。
私を慰めるためだったのでしょうけれど、
先生が仰るには、
「これから先は頑張って生きている姿は辛そうな姿でもあるはずだったのだから、
身体の状態の割に穏やかな顔をしていて苦しくなかったのだから良かったんだよ」
って。
直前までワンワン言っていたこと、
ご飯も食べたこと、先生は驚かれていました。
この日も普通にいつも通りに、
我が家での今までの毎日と同じように過ごしながら、
そのまま逝ってしまったのです。
せっかくの酸素室、たった半日しか使うことが出来ませんでした。
こんな狭いところ嫌いだもん!!!
って思っちゃったのかな。
「星守る犬」って本(漫画)ご存じですか?
西田敏行さん主演で映画にもなったのでご存じの方も多いかと思います。
続編の、「続・星守る犬」のあとがきに、
「誰かが自分のことを必要としていてくれている」と感じたり、「誰かが自分のことを待っていてくれる」と思えることは、きっと何よりも「幸せ」なことだと思います。
と作者が書かれています。
モアちゃんと過ごした時間の中で、
特に癌が進行してしまった後半は、
まさにそんな感じだったなと、つくづく思うのです。
必要とされてて、
待っててくれて、
本当に幸せな時間を一緒に過ごすことが出来ました。
保護犬さん達は、一番の目的は里親さんを見つけてあげることかもしれません。
モアちゃんみたいに、それが叶わない子もいますが、
あの日、転移が確認された2月11日の病院で、
早ければ3ヶ月の余命宣告にショックを受けながら、お薬が出るのを待っていた待合室で、
先のことを考えて一番に頭に浮かんだのは、
「このまま自分がモアちゃんのお世話をしよう」ということでした。
すぐに代表とケイトさんに報告と自分が看たい旨、
取り急ぎでお願いメールを携帯で入れたっけ。
だからモアちゃんは私の子なのです。
これからもずっと。
いつか虹の橋で再会した時に、
「なんであの時にワンワン言ったのに気が付いてくれなかったのよ」
って、きっとモアちゃんに怒らるのでしょう。
その日までバイバイ、またね。
大好きなモアちゃん。

たくさんの応援とご支援に支えられました。
どうかモアちゃんを思い出す時には、最後の方の姿ではなく、
元気だったころの、ハチャハチャと走り回っていた頃のモアちゃんを心の中に残してあげて下さい。
本当にありがとうございました。
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